So-net無料ブログ作成
42.古墳時代の編年に挑戦 ブログトップ

42-1.武具が前期の編年を紐解く [42.古墳時代の編年に挑戦]

古墳時代前期・中期・後期の三期の区分けで、中期の始まりを円筒埴輪Ⅳ式(集成編年6期)からとして、定説に反して円筒埴輪Ⅲ式(集成編年5期)を前期に繰り入れた。それはⅢ式(5期)の時代は、大型前方後円墳が河内や吉備・上野に造られた政治的な画期はあるが、考古学的な画期がないためであった。古墳前期から中期にかけて、武具(冑・短甲・挂甲)が古墳に副葬されている。これら武具には様式の違うものがあり、これらについて円筒埴輪の型式の関係を調べ、円筒埴輪Ⅲ式(5期)の編年、実年代を明確にしておこうと思う。

冑については小札革綴冑についてのみ調べた。この小札革綴冑は、33面の三角縁神獣鏡が出土した奈良の黒塚古墳、32面が出土した京都の椿井大塚山古墳、7面が出土した兵庫の西求女塚古墳、7面が出土した福岡の石塚山古墳から出土している。これらの古墳は円筒埴輪が出現する以前(0式)の古墳である。また、円筒埴輪Ⅰ式の時代を飛び越して、Ⅱ式の時代にも大阪の久米田貝吹山古墳、京都の瓦谷1号墳・黄金塚2号墳、三重の石山古墳、4基の古墳から小札革綴冑が出土している。小札革綴冑は0式~Ⅱ式まで連続して出現していると考える学者もおられるが、私は0式とⅡ式の2期に分けて出現したと編年した。

 K30短甲竪矧.jpgK31短甲三角.jpgK32短甲鋲留.jpg












短甲は肩から腰の胴体を保護する鎧のことで、鉄の板を革で綴じた革綴短甲と、鉄の板を鋲で留めた短鋲留短甲に分かれる。革綴短甲は鉄の板の形状で、竪矧
(はぎ)板革綴短甲・方形板革綴短甲のグループと長方形板革綴短甲・三角板革綴短甲・横矧板革綴短甲の二つのグループに分けた。鋲留短甲は鉄の板を鋲で留めた短甲で、その中に三角板鋲留短甲と横矧板鋲留短甲があるが、一つのグルーK33武具の共伴.jpgプとした。挂甲は小札(こざね)と呼ばれる鉄を革や組紐で綴じた鎧で、伸縮性があり肩から腰まで保護できる。挂甲にも種類があるが、一つのグループとした。これらの武具の様式と須恵器・馬具の共伴関係を表33にまとめた。表の中で最も注目(赤枠)すべきことは、竪矧・方形板革綴短甲と長方形・三角・横矧板革綴短甲は、全く共伴関係にないことだ。


次に武具の様式と円筒埴輪の型式の関係を表34にまとめた。表を見ると、円筒埴輪Ⅱ式の時代K34円筒と武具.jpgに竪矧・方形板革綴短甲と長方形・三角・横矧板革綴短甲の両方が存在している。この両者が共伴することがないことからすると、円筒埴輪Ⅱ式の時代は竪矧・方形板革綴短甲の時代と長方形・三角・横矧板革綴短甲の時代ⓑに分かれる。そして、円筒埴輪Ⅲ式の時代には長方形・三角・横矧板革綴短甲が存在している。円筒埴輪Ⅱ式のの時代と円筒埴輪Ⅲ式の時代は、どうなっているのであろうか。Ⅱ式の時代の後にⅢ式の時代が来ると考えることも出来るが、Ⅱ式とⅢ式の時代がオーバーラップしているとも考えられる。

表34の「三・横」の列の、「Ⅱ式」の行[]のデータの中には、九州系横穴石室の老司古墳と鋤崎古墳が入っている。老司古墳からは馬具と須恵器(TK73以前)が出土している。これからして、円筒埴輪Ⅱ式は、馬具と須恵器が登場する古墳中期(円筒埴輪Ⅳ式)に近いことが分かる。『横穴式石室誕生』(近つ飛鳥博物館 2007年)では、老司古墳を4世紀後葉とし、鋤崎古墳を4世紀後葉~5世紀前葉としている。中期の始まりを円筒埴輪Ⅳ式の時代で400年からとすると、円筒埴輪Ⅲ式は出る幕がないのである。これらより、円筒埴輪Ⅱ式と円筒埴輪Ⅲ式は、オーバーラップしていると考えざるを得ない。

集成編年の基準を作った広瀬氏は、長方板・三角板革綴短甲が出現する集成編年4期(円筒埴輪Ⅱ式は4世紀後半とされ、5期(円筒埴輪Ⅲ式)は4世紀末~5世紀初めとして、「後半」の中に「末」をいれる微妙な表現を採っている。集成編年4期と5基はオーバーラップしているとする方が、円筒埴輪Ⅲ式の存在がスッキリする。円筒埴輪の型式でⅡ~Ⅲ式と表現している古墳が4基ある。これは「Ⅱ and Ⅲ」ではなく、「Ⅱ or Ⅲ」であるようだ。このような表現をする円筒埴輪の型式は他になく、Ⅱ式とⅢ式がオーバーラップしている証拠でもある。
K35須恵器編年表.jpg
表35に円筒埴輪Ⅱ式以降の編年表を作成した。なお、円筒埴輪Ⅲ式の終わりに須恵器の製法が馬具・鋲止短甲・挂甲と同時に伝わったとして、編年表を組み立てていく。古墳時代の編年表を作成する上で注目すべきことは、竪矧板革綴短甲・方形板革綴短甲の存在が、円筒埴輪Ⅱ式の時代であるという指標が出来たことである。その指標は円筒埴輪型式・須恵器の型式と同じように、年代決定のための指標としての値打ちを持つ。


42-2.形象埴輪と副葬品の編年 [42.古墳時代の編年に挑戦]



K36副葬品.jpg古墳の年代を決めるには、古墳の形態・埋葬施設・埴輪・副葬品について、これら要素の実在した年代を編年して行かなければならない。前章では、武具(短甲・挂甲)と円筒埴輪型式との関係を明らかにし、武具の編年のイメージが出来た。この章では、その他の年代を決める要素を円筒埴輪の型式別にまとめ、編年表のイメージを作ってみた。古墳の年代を決める要素には、古墳時代の途中から始まったもの、古墳時代の途中で消滅したものを選んだ。古墳の埴輪・副葬品

についての結果を表36に示す。

K37三角縁神獣鏡.jpg

三角縁神獣鏡には「景初三年」「正始元年」銘の鏡があることから、卑弥呼が魏から貰った百枚の鏡が含まれていることが予想され、古墳時代の初めから存在していたことは確かである。弥生時代から鏡は墓に副葬されていたのだから、古墳時代の初めから三角縁神獣鏡が副葬されていたことは予想出来る。表36の三角縁神獣鏡の円筒埴輪0式(円筒埴輪なし)にある4基の古墳は、小札革綴冑で述べた奈良の黒塚古墳、京都の椿井大塚山古墳、兵庫の西求女塚古墳、福岡の石塚山古墳である。三角縁神獣鏡は円筒埴輪Ⅲ式の時代で消滅している。

鍬形石・石釧・車輪石の石製腕飾は円筒埴輪Ⅰ式の奈良の新山古墳、大阪の池田茶臼山古墳、京都の寺戸大塚古墳・平尾城山古墳から出土している。合子・琴柱形の石製品は円筒埴輪Ⅱ式からで、琴柱形石製品が出土した奈良の新沢500号墳は方形板革綴短甲を共伴している。K38石製腕飾.jpgまた、合子・琴柱形の石製品と方形板革綴短甲が共伴する古墳に、石川の雨の宮古墳がある。これらのことから、合子・琴柱形の石製品はⅡ式(集成編年3期)と考えられる。集成編年の基準では、琴柱形石製品の出現は4期(Ⅱ式からとなっており違う編年となった。石製腕飾と合子・琴柱形の石製品はⅢ期の時代に消滅している。

K39筒型銅製品.jpg筒形銅器は円筒埴輪Ⅰ式で京都の妙見山古墳が1基ヒットした。筒型銅器を出土した古墳が1基であることから、筒形銅器はⅠ式の時代の末に出現したと思われる。表36よりⅡ期の時代に消滅し、Ⅲ式の時代には存在しないことが分かる。巴形銅器はⅡ式の時代から始まっている。集成編年の基準では筒形銅器と巴形銅器の両方が集成編年4期(円筒埴輪Ⅱ式)の時代に消滅しているとするが、山口の白鳥古墳は円筒埴輪Ⅲ式で巴形銅器が出土している。また、岡山の千足古墳はⅣ式で8個の巴形銅器が出土している。これらから、巴形銅器は円筒埴輪Ⅳ式の初めごろまで存在したと考える。

一般的には埴輪は円筒埴輪と形象埴輪に分けられ、形象埴輪には家形埴輪・器財埴輪・人物埴輪・動物埴輪にわけられるが、ここでは円筒埴輪(含む朝顔形埴輪)、形象埴輪(家形埴輪・器財埴輪・除く動物埴輪)、人物埴輪・馬形埴輪の三つに大別した。動物埴輪については馬を含む場合があるので除外した。箸墓古墳などの出現期古墳にみられる壺形埴輪・特殊器台は円筒埴輪から除外している。三角縁神獣鏡と小札革綴冑を出土した、奈良の黒塚古墳、京都の椿井大塚山古墳、兵庫の西求女塚古墳、福岡の石塚山古墳かは円筒埴輪が出土していない。円筒埴輪Ⅰ期の始まりは、これら4古墳は築造された後になる。



形象埴輪(家形埴輪・器財埴輪)は、円筒埴輪1式の京都の平尾城山古墳と長野の森将軍塚古墳がヒットしている。平尾城山古墳からは家形埴輪・蓋(きぬがさ)形埴輪が、森将軍塚古墳からは家形埴輪と合子形埴輪が出土しており、形象埴輪は円筒埴輪1式の時代から出現していると考える。円筒埴輪Ⅲ式の時代に大阪の墓山古墳から人物埴輪が出土している。墓山古墳から出土している形象埴輪には黒斑が有るものと無いものとがあり、窖窯(あながま)を導入する時期の前後に製作されたと考えられている。これらより、墓山古墳はⅢ式の末、Ⅳ式の始めの時代とも言える。人物埴輪・馬形埴輪はⅣ式の始めからと考える。




42-3.古墳の形態・埋葬施設の編年 [42.古墳時代の編年に挑戦]



K40円筒埴輪・石棺.jpg前方後円墳は古墳時代の当初から築造されているが、前期の中頃に前方と後円のくびれ部の片側、あるいは両側に、半円形もしくは方形の造り出しを設けた前方後円墳が出現する。この造り出しには、家形埴輪などの形象埴輪などが配置されてあり、祭祀が行われたと考えられている。この造り出しが出現するのは、表40に示すように、円筒埴輪Ⅱ式の時代からである。



K41造り出し.jpg造り出しのある円筒埴輪Ⅱ式の古墳としては、大阪3基・奈良2基・岡山2基・京都1基・三重1基・福井1基の10基がヒットした。Ⅱ式の時代に畿内からその周辺地域に広がったように思える。この内、三重の石山古墳からは小札革綴冑(Ⅱ式)と長方形板革綴短甲Ⅱ式が出土し、大阪の津堂城山古墳・盾塚古墳からは三角板革綴短甲Ⅱ式が出土している。円筒埴輪の型式は不明だが、竪矧板革綴短甲が出土した大阪の紫金山古墳には造り出しがある。造り出しは円筒埴輪Ⅱ式の終わりごろ出現したと考える。

K42帆立貝形古墳.jpg前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳は古墳時代の初めから出現しているが、帆立貝形古墳は円筒埴輪Ⅱ式の時代になって出現している。帆立貝形墳については、円墳に方形の造出しがついたものと、前方後円墳の前方部が短小化されたものとがあるそうだが、Ⅱ式の時代の帆立貝形古墳は、造り出しの出現期とほぼ同じであり、前者の方ではないかと考えられる。帆立貝形墳の円筒埴輪Ⅱ式の古墳としては、大阪の盾塚古墳、京都の鳥居前古墳・梅ノ子塚1号墳の3基がヒットした。この内、盾塚古墳、鳥居前古墳からは三角板革綴短甲が出土している。帆立貝形古墳で竪矧板革綴短甲・方形板革綴短甲が出土している古墳は皆無であり、帆立貝形古墳は円筒埴輪Ⅱ式の時代から始まったと言える。

古墳の埋葬施設には、竪穴式石槨・粘土槨・横穴式石室がある。竪穴式石槨は古墳時代に入って始まった埋葬形態で、古墳時代の初めから終わりまで存在する。竪穴式石槨には、高野槇の大木を二つに割り刳りぬいて作られる割竹形木棺が安置されている事が多い。この割竹形木棺を粘土で覆い、そのまま土壙に埋めてしまったのが粘土槨だ。木棺は朽ち果ててしまうので、粘土槨だけが落ち込んだ形で残っている場合が多い。

この粘土槨は表40に示すように、円筒埴輪Ⅱ式で始まり、Ⅳ式で終わっている。粘土槨の円筒埴輪Ⅱ式の古墳としては、大阪の和泉黄金塚古墳、奈良の東大寺山古墳、京都の瓦谷1号墳、岐阜の長塚古墳、山梨の岡銚子塚古墳などの10基の古墳である。この内、奈良の新沢500号墳、京都の垣内古墳・瓦谷1号墳は方形板革綴短甲を出土しており、粘土槨は円筒埴輪Ⅱ式の時代から出現したと言える。


42-4.古墳時代の石棺の編年 [42.古墳時代の編年に挑戦]



古墳時代の石棺としては、その製作方法で分類すると、組立式石棺と刳抜式石棺に分かれる。組立式石棺は扁平な自然石を組み立てた箱形()石棺と、凝灰岩などを加工して組立てた組合式石棺がある。組合K40円筒埴輪・石棺.jpg式石棺にはその形状から長持形石棺・家形石棺があり、刳抜式石棺には舟形石棺・割竹形石棺・長持形石棺・家形石棺がある。箱形()石棺は弥生時代からの埋葬形態であり、古墳時代の初めから終わりまで用いられたので編年の要素とはならない。組合式石棺・刳抜式石棺(舟形石棺・割竹形石棺)、長持形石棺・家形石棺について、円筒埴輪の型式の関係を表40に示す。


K43長持形石棺.jpg円筒埴輪Ⅰ式の時代に、岡山の花光寺山古墳で長持形石棺が、京都の妙見山古墳で組合式石棺が出土している。岡山の花光寺山古墳は、組合式長持形石棺の直葬で側に小石室がある。京都の妙見山古墳で組合式石棺の直葬で小石室がある。花光寺山古墳と妙見山古墳は埋葬方法が良く似ているばかりか、両古墳から出土した倣製三角縁神獣鏡は同范の関係にある。円筒埴輪Ⅰ式時代の末に組合式・長持式石棺は出現したと考える。長持形石棺は円筒埴輪Ⅱ式に普及しⅣ式で終わっている。円筒埴輪Ⅰ式に登場した組合式石棺は、円筒埴輪Ⅱ式・Ⅲ式では長持ち石棺に取って代られ、Ⅳ期に復活してⅤ期には長持形石棺に取って代っている。


K44家形石棺.jpg刳抜式石棺は円筒埴輪Ⅱ式の時代に普及している。この中で、刳抜式石棺が出土した久米田貝吹山古墳は小札革綴冑を共伴しており、Ⅱ式
(集成編年3期)と考えられ、刳抜式の石棺としては早い時期のものである。集成編年基準では家形埴輪の出現を7期(TK216~TK208)としているが、福岡の石人山古墳は家形石棺と須恵器TK73を共伴しており、家形石棺はⅣ期の初めに出現したと編年した。円筒埴輪は出土していないが、岡山の鶴山丸山古墳、福井の龍ヶ岡古墳は家形埴輪と石製腕飾を共伴している。これらからしても、家形石棺はⅣ期の初めに出現したことが分かる。福岡の石人山古墳の石棺には直孤文と二重円文が、岡山の鶴山丸山古墳の石棺には家と円盤が彫刻されている。どちらも出現期の家形石棺であるところに興味が湧く。


42-5.編年表をコード化 [42.古墳時代の編年に挑戦]

                                      K46編年表.jpg                   古墳時代の編年を決める要素として、古墳の形態は帆立形古墳(1)・造り出し(2)の2要素、埋葬施設は九州系横穴石室(3)・横穴式石室(4)・粘土槨(5)の3要素、埋葬石棺は組立式石棺(6)・長持形石棺(7)・刳抜式石棺(8)・家形石棺(9)の4要素、円筒埴輪(10)とその型式のⅠ式(11)・Ⅱ式(12)・Ⅲ式(13)・Ⅱ~Ⅲ式(14)・Ⅳ式(15)・Ⅴ式(16)で7要素、形象埴輪(17)と人物馬形埴輪(18)の2要素、副葬品として三角縁神獣鏡(19)・石製腕飾(20)・合子/琴柱形石製品(21)・筒形銅器(22)・巴形銅器(23)・小札革綴冑(24)・竪矧/方形板革綴短甲(25)・長方/三角/横矧板革綴短甲(26)・鋲留短甲(27)・挂甲(28)・馬具(29)の11要素、須恵器(30)とその型式のTG232(31)・TK73(32)・TK216(33)・TK208(34)・TK23(35)・TK47(36)・MT10(37)・TK15(38)・TK43以後(39)で10要素、合計39要素で編年表46を作成した。

理工学系の実験において、ある桁(例えば0.1)の精度を得ようとすると、その測定はその一桁下(例えば0.01)で行わなければならない。考古学において実年代の表記は、O世紀前葉・中葉・後葉と33年の単位で表されることが多い。これらの精度の年代を得るためには、編年表は10年単位で作られなければならない。10年単位の表記は誤差を含むかも知れないが、古墳の実年代の決定に有効であり、また編年表の矛盾点が現れ、より精度の高い編年表を作成することが出来ると考える。


K47年代決定.jpg編年表は個々の古墳の年代決定に役に立ってこそ、その真価が発揮される。編年を決めた39要素について、個々の古墳で39要素の有無を調べれば、その古墳の年代が決定出来る。京都の妙見山古墳は、組立式石棺
(6)円筒埴輪(10)Ⅰ式(11)三角縁神獣鏡(19)筒形銅器(22)が該当する。表47に示すように、妙見山古墳の年代は210年~220年に比定出来た。奈良の巣山古墳は、造り出し(2)円筒埴輪(10)Ⅱ式(12)・形象埴輪(17)石製腕飾(20)で360年~390年に比定出来た。大阪の墓山古墳は、造り出し(2)長持形石棺(7)・円筒埴輪(10)Ⅲ式(13) ・形象埴輪(17)・人物馬形埴輪(18)で、400年で要素が接触している。このような場合、私は395年~405年としている。私は全ての古墳の年代を決めたいと思ったが、この方法では時間が掛かって出来そうもないと思えた。

K48コード編年表.jpgデータベース化している1739基の古墳について、39要素の有無を39桁にコード化した。編年を決める39要素が一つでも有る古墳は1265基であった。古墳をコード化することにより、二つの要素(例えば家形石棺と石製腕飾)を共伴する古墳をすぐさま検索出来ようになった。そして表46の編年表を10年単位で39桁にコード化にした“コード編年表”表48を作った。「0」は要素無し、「1」が要素有りである。そして、コード編年表と古墳のコードから、パソコンで瞬時に年代が決められるソフトを作り上げた。


42-6.古墳1265基の年代を決定 [42.古墳時代の編年に挑戦]

コード編年表と古墳のコードからパソコンで瞬時に年代を決めるソフトが出来たことから、1265基の古墳の年代を導き出す作業に取り掛かった。これらの古墳の年代をパソコンソフトで決めて行く過程で、編年表の39要素の間に矛盾があれば、年代が決定出来ない古墳が出て来る。そのたびに編年表を修正して、初めからやり直すという作業を繰り返した。そういう事もあり、編年表の精度は高まったと自負している。

しかし、最終的に編年表から年代の計算が出来ない古墳が10基見つかった。千葉の城山古墳は横穴式石室で円筒埴輪Ⅴ式、須恵器TK43・TK209を副葬しており、古墳後期後半の古墳と考えられるが、古墳前期の副葬品である三角縁神獣鏡(同笵:椿井大塚山古墳)が共伴しており、ソフトでは年代が決められない。城山古墳の三角縁神獣鏡は、先祖代々伝世して来た鏡というより、どこかの古墳に埋葬されていた鏡を手に入れたのではないかと思われる。長野の新井原8号古墳は横穴式石室を持つが、倣製三角縁神獣鏡が出土している。古墳の情報が少ないので分からないが、たぶん城山古墳と同じような鏡の入手であろう。

k49城山古墳石室.jpgK50城山古墳鏡.jpg






広島の三玉大塚古墳は円筒埴輪Ⅳ式・人物埴輪・鋲留短甲・挂甲・馬具・須恵器TK208が出土しており、中期の典型的な古墳である。しかし前期の副葬品である筒形銅器を1個共伴しており、ソフトでは年代が決められない。編年表では、筒形銅器は円筒埴輪Ⅲ式(~400年)で消滅するとしている。中期以降の要素、円筒埴輪Ⅳ式・人物埴輪・鋲留短甲・挂甲・馬具・須恵器のどれか一つの要素と筒形銅器が共伴している古墳は、三玉大塚古墳以外には無い。この一例で筒型銅器がTK208(440~460年)まで存在したとすることは出来ない。三玉大塚古墳の筒形銅器の存在は分からない。


兵庫の白水瓢塚古墳は円筒埴輪Ⅰ式と人物埴輪が矛盾する。2003年9月の神戸市教育委員会の調査報告書を見ると、白水瓢塚古墳の横に3基の古墳が存在している。他の古墳の人物埴輪が紛れ込んだのではないかと思える。白水瓢塚古墳の粘土槨から石釧・車輪石が出土している。編年表からすると円筒埴輪Ⅰ式と粘土槨が接することから、315年~325年に比定出来る。2010年10月、大阪大学と宝塚市教育委員会は、長尾古墳から「国内最古(4世紀初め)の粘土槨を発見」と発表している。長尾古墳の円筒埴輪は詳細に観察されているが、Ⅰ式であるという決め手に欠いているようだ。それならば、今のところ白水瓢塚古墳の粘土槨が最古になるのではないだろうか。

K35須恵器編年表.jpg編年表では粘土槨は円筒埴輪Ⅳ式と共に消滅している。奈良の狐塚古墳の埋葬施設は粘土槨であるが、周濠から須恵器TK10が出土している。周濠の須恵器TK10は築造後に破棄されたものと考えられる。円筒埴輪の型式と須恵器の型式が合致しない古墳が5基ある。愛知の二子山古墳は円筒ⅤとTK216、滋賀の塚の越古墳は円筒ⅤとTK208、愛知の船山古墳はⅣ式+Ⅴ式とTK47~TK10、福岡の御塚古墳はⅣ式とMT15、福岡の兜塚古墳はⅣ式とTK209である。表35と照らしあわせれば、その矛盾がわかる。なお、TK209は表にないが、TK10→TK43→TK209となる。これらの矛盾は円筒埴輪の型式比定が間違ったのか、須恵器の型式比定が間違ったのか、それとも須恵器が混入したのか、いずれかに問題があるのであろう。

これら10基以外の全ての古墳の年代が決定出来た。編年表の実年代の精度は別として、少なくとも39要素の年代の相互間には矛盾がないと言える。年代が決定出来ても、古墳形態・埋葬施設・副葬品の組み合わせによっては年代の幅(○○年~○○年)が大きくなる。その年代幅が30年以内に決定出来た古墳が273基、その内71基の年代幅が10年以内であった。



42.古墳時代の編年に挑戦 ブログトップ