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34-2.「天皇」木簡が史実を語る [34.「天皇号」の成立を解く]

1998年に奈良国立文化財研究所が、飛鳥池遺跡から出土した木簡の中に、「天皇」の語が墨書きされたものがあると発表した。この木簡は飛鳥池遺跡の北地区の、持統朝を下限とした溝のさらに下層から出土しており、同じ遺構から「庚午」天智9年(670年)、「丙子」天武5年(676年)、「丁丑」天武6年(677年)の紀年木簡が伴出している。また、この遺構から伴出した木簡の「サト」表記は、すべて「五十戸」であった。飛鳥石神遺跡から出土した多量の荷札木簡から、「サト」が「五十戸」から「里」に切り替わったのは、飛鳥浄御原令の編纂が始まった681年から683年頃であることが分っている。これらより「天皇」の表記は、683年以前(天武11年)に存在していたことが分る。 

唐の高宗が「天皇」の称号を使用し始めたのが上元元年(674年)8月であり、倭国では683年には既に「天皇」表記を使用していた。
定説の「天武天皇(672~685年)に対して最初の『天皇』号が捧げられた」というのが成り立つためには、この僅か10年間に、倭国が唐から「天皇」の称号の情報を得ていなければならない。この事が可能あったか検証してみる。674年8月以前でも、684年以後であっても、不可なのである。 

唐から情報を得るとすれば、「遣唐使」の帰国の船である。第6次の遣唐使船の帰国は668年で674年8月以前であり不可。第7次の遣唐使船は出発が669年、帰国年は不明である。20次にわたる遣唐使船の中で、出発と帰国が明確な船は、全てが2年以内に帰国している。これからすると、第7次も674年8月以前ということになり不可である。第8次の遣唐使船の帰国は704年で684年以後となり不可、遣唐使船はいずれも天皇元号の成立に関わることはなかった。

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コメント 6

老婆心

古代、政令の徹底にかなりの時間を要したからか、出土木簡に「五十戸」と「里」が併存する期間があります。
実際、天武12年(683)以後の木簡にまだ「五十戸」の記載があるものが存在します。
現在のところ、「五十戸」木簡の最後のものは、
「丁亥年若狭小丹評○/木津部五十戸/秦人小金二斗∥」であり、飛鳥池遺跡南地区から出土したもので、
丁亥年は持統天皇元年(687年)に当たります。
by 老婆心 (2014-07-08 21:51) 

t-tomu

ご指摘ありがとうございます。「五十戸」木簡の最後のものが持統天皇元年(687年)であるとすれば、私の文章は「『天皇』の表記は、687年(持統元年)以前に存在していたことが分かる。」となります。ただ、「第6次・第7次・第8次の遣唐使船は、いずれも天皇元号の成立に関わることはなかった。」の結論は変わりません。
by t-tomu (2014-07-09 05:17) 

いしやま

高市大王の高市大寺は九重塔を持つ大変大きなものを想定できるようなので、
天皇の寺とされる大官大寺の設立は、天皇称号の発生と絡んでいるように思います。
ということから、天皇称号は677年には成立したと思うものですが。
by いしやま (2014-07-16 22:04) 

t-tomu

天皇称号が677年に成立したと過程すると全てが矛盾ありません。しかし、天皇称号の「呼称」と「概念」が日本に伝わった経緯に問題があると考えます。それが遣唐使からの情報でないことは明らかです。それ以外の情報源として言われているのが、遣唐使の学問僧「道光」が新羅経由で持ち帰ったという説です。それについては、「34-3.道光は天皇号を持ち込んだか」から、「34-7.天皇号は聖徳太子が考案した」までに書いております。定説とはかけ離れておりますが、私には他に考えれる可能性がないように思えるのですが。


by t-tomu (2014-07-17 21:55) 

いしやま

浅学で申し訳ないのですが、日本書紀で発祥を書いていない重要な事項がたくさんあります。発祥が書けないということは、そこにいる天皇などが行ったものではないことを示していると判断するものです。日本書紀は歴史事実に反することは、書いていないように思えるからです。壱系天皇小説を史実とは異なる別王朝が存在したかのようにフィクションを作っている、ように見えるからです。天皇はもちろん 日本ヤマトイワレヒコ以来天皇があったとしているからです。言い方が難しいのですが、誤解を恐れずにということで、大王がいた国ではないということです。とすれば高市大王は673年以来708年までの数々の業績を上げた偉大な大王だったということになるのではないでしょうか。大宝律令や藤原京遷都などやはり強力なリーダーシップをもたないと難しいのではないでしょうか。トップが次々に代わりながらこんな大事業をやりきることは、常識的に無理なように思えます。
by いしやま (2014-07-18 14:08) 

いしやま

天皇について、開始からまだ間もないから、720年日本紀 日本書紀でヤマトイワレヒコ以来天皇だったといっても、大王を知っていれば、小説と分かるから問題は無い。しかし1200年後の明治になってからでは、大王がいたなどそれは分からない。
忘れていました、天皇木簡が出たそうですが、これが大王から天皇と呼称が変わったという証拠になるものでしょうか。何時から天皇という呼称が始まったのでしょうか。当時本当に天皇と呼ばれたのは誰からなのか、日本書紀からでは分からないように思うのですが。当時 首は天皇と呼ばれたのでしょうか。

by いしやま (2014-07-18 15:16) 

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