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12-5.饒速日命天降りの足跡 [12.神武以前に大和に来た神々]

先代旧事本紀は日本書紀が説明不足になっている所は、必ず突っ込んで詳細を書いている。熊野国も、高倉下も、そして饒速日命もそうだ。それだけに先代旧事本紀は魅力ある書物になっている。だから、饒速日命が河内の国の哮峰に天降り、大倭の国の鳥見の白庭山に移ったという記事は魅力を感じる。私は、先代旧事本紀は平安時代の歴史学者が書いた論文だと思っている。平安時代の方が現代より史実や伝承に近かったことは間違いない。だから、昔の学者を信じるのも、現代の学者を信じるも大同小異であり、何を信じ、何を信じないかの問題である。私も饒速日命は河内に天降りし、その後大和に進出したと考える。 

それでは、饒速日命が河内に天降りした時代を明らかにしたい。6章4節(6-4)で、天照大神が天の岩屋に籠ったとき、「国中が常闇となり夜昼の区別も分らなくなった」のは、天照大神の死亡と、日食が重なったことから起こった伝承だとして、158年の皆既日食に比定した。一方、天の岩屋で活躍した思兼神を饒速日命の父とし、この頃高天原で活躍していた高皇産霊尊を饒速日命の祖父と考えた。政務で活躍出来る最高年齢を60歳、最低年齢を20歳として、158年を起点に、高皇産霊尊、思兼神、饒速日命の3代の年齢構成を考えてみる。可能性のあるのは、158年の時点で、高皇産霊尊:思兼神:饒速日命が(60歳:40歳:20歳)とすれば、饒速日命は河内にすぐ天降り出来る。(50歳:30歳:10歳)であれば、10年後に天降り出来る。(40歳:20歳:0歳)では20年後に天降り出来る。 

図32 高地性集落.jpg饒速日命の天降りが30歳のことも考慮に入れると、これらから饒速日命が天降りに出発したのは、160~190年の間で、まさに、倭国大乱のときであることが分かる。図32に弥生後期(Ⅴ期)の高地性集落の分布を示す。高地性集落は防御のための集落である。弥生Ⅴ期というと50年~200年が見当になり、年代の幅が広いが、まさに饒速日命が北部九州より河内に天降りした時に、瀬戸内海沿岸で高地性集落が築かれた事を示している。      
                    
書紀では饒速日命が義兄の長髄彦を殺し、神武天皇に帰順したのは、建国の2年前である。私は神武建国を241年とした。饒速日命の出発の年と年齢を考えると、神武天皇に帰順した時の年齢は、70歳~100歳となる。河内から大和に侵出して、長髄彦の妹の三炊屋媛妹を娶ったのは饒速日命の息子で、孫の可美直手命が伯父の長髄彦を殺したのであろう。そうすると饒速日命の子孫が大和に侵出したのは、180~220年の間になると考える。纒向遺跡が突然あらわれるのが180年頃であり、饒速日命の子孫が大和に侵出た時代と合ってくる。饒速日命の息子は纒向に侵出したのであろう。纒向遺跡から北部九州の土器が出土せず、河内庄内土器が多数出土しているのは、饒速日命の河内の時代があるためと考える。弥生後期の高地性集落の分布と言い、纒向遺跡の突然の出現と言い、二世紀末に行われた饒速日命の河内・大和への侵出は歴史に大きな足跡を残している。

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コメント 2

ホケ老

>書紀では饒速日命が義兄の長髄彦を殺し、神武天皇に帰順したのは、建国の2年前である。私は神武建国を241年とした。
>纒向遺跡が突然あらわれるのが180年頃であり、饒速日命の子孫が大和に侵出た時代と合ってくる

甘木・朝倉と大和との地名の類似性を勘案。
日向由来の神武が建国したときには既に地名の類似は成立していなければならない。
それは纏向を国造りした勢力=饒速日の業かと。すると、この勢力は当然、甘木・朝倉勢力と言うことになる。
饒速日も(古いが)天孫では有った様だ。そうすると、
饒速日は倭国大乱の折に、甘木朝倉を出奔し出雲の助力を得て大和に入り、ここで纏向国の基盤を造った。
つまり、奴国王族の末裔たる饒速日が「プレ大和」の基盤を造り、そして邪馬台国縁の神武を迎え入れたことになるのではないでしょうか?
by ホケ老 (2017-01-16 20:45) 

ホケ老

「大和」の地名由来の解釈では、邪馬台国・倭・大倭などから転じてなったなどの見方もあるようですが、「奈良」も・・・。語彙遊びですが・・・。

古代朝鮮半島の国名、「百済・新羅・加羅」などから、「ラ」に「国」の意味があったと想像できます。この事と
「>奴国王族の末裔たる饒速日が「プレ大和」の基盤を・・・」を併せると
「奴国→ナラ⇒奈良」なりますが、悪乗りが過ぎるのでしょうネ。

悪乗りついでに・・・記紀の記述を離れての思いつきですが・・・。
異文化の侏儒国(薩南諸島)から少彦名は出雲にて活躍中・・・・。そんなとき、
倭国が乱れ、侏儒国へ兵・難民などが押し寄せ・・・、母国が国難状況に・・・して、急遽侏儒国へ戻る事となった。
(高産巣日神 の 御子とされていますが・・・・小さな神ということで)
by ホケ老 (2017-01-17 14:25) 

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