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28-5.韓国の古代鉛系ガラス [28.中国・韓国の古代ガラス]

題目は朝鮮半島の古代ガラスとするべき所であるが、北朝鮮側の情報がなく、韓国国内について、原三国時代までについて述べてみる。原三国時代とは、紀元前108年に楽浪郡が置かれてから、新羅・百済が国を興す4世紀中頃までを言う。なお、三国時代の新羅の古墳からは、西アジアから輸入されたと考えられている素晴らしいガラス容器が出土しているが、これらについては、日本出土の西アジア伝来のガラス容器の所で述べる事にする。

韓国古代ガラスの組成成分は、鉛バリウムガラス、鉛ガラス、カリガラス、ソーダガラスの大きく四つのグループに分類することが出来る。これら4種類のガラスが原三国時代から発見されている。鉛バリウムガラス・鉛ガラスを鉛系ガラス、カリガラス・ソーダガラスをアルカリガラスとしてまとめてみた。
 

韓国内の最古のガラスは忠清南道扶余郡の合松里遺跡から出土した、8点の鉛バリウムガラスの青色管玉である。この管玉は不透明・半透明で径5~6㎜、長さ10㎜程度である。合松里遺跡からはガラス管玉の他に、銅剣・銅戈・多鈕細文鏡・銅鐸と鋳造鉄斧・鉄鑿が出土している。韓国式銅剣文化と初期鉄器文化ということから、紀元前2世紀初め(或いは前半)とされている。忠清南道地域では、合松里遺跡の他にも、唐津郡素素里・公州郡鳳岩里などでガラス管玉と青銅器・鋳造鉄器が伴って出土している。また、鉛バリウムガラスは全羅南道海南郡郡谷里、慶尚南道義昌郡茶戸里・晋陽郡大坪里で出土したガラス玉でも確認されている。
 

韓国(合松里・郡谷里・茶戸里)の鉛バリウムガラス4点の組成と中国の前漢時代の鉛バリウムガラスと比較して見た。両者のガラス成分と比較すると、若干の違いはあるものの韓国出土の鉛バリウムガラスは、中国の前漢時代のガラス組成であることが分かる。
                     SiO2    Al2O3     CaO    MgO     K2O    Na2O    PbO   BaO
    韓国鉛バリウムG 48%   0.78%  1.43%  0.31%  0.28%  3.75%   34%   9.4%
    前漢鉛バリウムG  37%   0.85%  0.48%  0.09%  0.17%  3.17%   40%  16% 

近年、全羅北道完州郡の葛洞遺跡(紀元前3~2世紀)から外径4㎝・幅1㎝・厚み3㎜の環形のガラス製品2点が発見され、いずれも鉛バリウムガラスであった。韓国の鉛バリウムガラスは紀元前3世紀頃から紀元後3世紀まで、中国の前漢・後漢・三国時代の間続いたということになる。
 

韓国の鉛ガラスとしては、紀元前1世紀から紀元後2世紀頃のものとして、全羅南道海南郡郡谷里から出土した緑色環玉が知られている。このガラス成分は
SiO2 26%PbO 72%であり、両者を合わせると98%となり、他の成分が非常に少ないガラスである。この高鉛ガラスは4~5世紀ころに再び出現した後衰え、その後統一新羅時代(7世紀中頃)に広く普及した。 

中国においては、鉛が60~75%程度の高鉛ガラスは、前2世紀頃の前漢時代に出現し、後漢時代にはそれまでの鉛バリウムガラスが衰退して鉛ガラスが栄えたが、その後3世紀後半ころに一時途絶え、隋代の6世紀末に復活して大量に流通した。「随書」何注稠伝の「緑瓷をもって久しく絶えていた中国ガラスを復活させた」という記載は、高鉛ガラス事を言っている。韓国の高鉛ガラスの栄枯盛衰は、中国のそれと同じである。

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コメント 3

とみた

はじめまして、シニアのアマチュア古代史研究家です。
研究し始めて12年になります。
ただいま、弥生時代の日本海沿岸や北部九州の墳丘墓に副葬されている、ガラスの玉を調べておりましたら、貴殿の論考を探し当てました。
鉛バリュームガラスは中国発に異存はありませんが、鉛ガラスについて、全羅南道南郡郡谷里から出ていると明言されています。
出雲の西谷2号や糸島の二塚も鉛ガラスですが韓半島の鉛ガラスとの関係は有りましょうか。お教えいただければ有難いのですが。
よろしくいたします。
by とみた (2014-06-26 20:24) 

t-tomu

弥生時代の鉛ガラスの鉛同位体比が調べられています。三雲出土の鉛ガラスの壁の鉛同位体比は、日本出土の鉛バリウムガラスおよび朝鮮系青銅武器(細形・中細形)や初期の銅鐸と同じ線上(ラインD)にあり、私はこの鉛は山東半島の香奇鉱山系のものだと考えています。ウトロ遺跡1号・2号の勾玉、二塚遺跡の釧の鉛ガラスの鉛対比は、中広形・広形の青銅武器や、出雲の荒神谷遺跡の銅剣・銅矛、中型・大型の銅鐸の青銅に含まれる鉛の同位体比と同じです。私はこの鉛は韓国・洛東江上流の月岳鉱山のものと考えています。鉛の産地比定は「20.青銅器鉛同位体比の秘密」に書いています。さて、中国で鉛ガラス(SiO2-PbO)が登場するのは戦国時代です。これは硅砂・水晶(SiO2)と白鉛鉱(PbCO3)を混合・加熱して造ったと、私は考えています。この鉛ガラスの難点は、白鉛鉱の鉱石が非常に少ないことです。後漢になって、豊富に存在する方鉛鉱(PbS)を焙焼して酸化鉛(PbO)を造り出すことを発見して、鉛ガラスが多く造られるようになったと考えられます。三雲遺跡の鉛ガラスは、鉛バリウムガラスと同時に、白鉛鉱を用いて前漢時代に山東半島で造られ、ウトロ遺跡・二塚の鉛ガラスは後漢・三国時代に洛東江上流の月岳鉱山系の方鉛鉱を用いて造られたと考えます。ウトロ遺跡のガラス勾玉からすると製作地は倭国であるように思えます。後漢・三国時代の倭国の鉄の供給地は洛東江の中・下流域です。それからすると、製造のノウハウは中国から韓半島に伝わり、それが倭国に伝わったと思えます。

by t-tomu (2014-06-27 10:31) 

とみた

TOMUさん早速回答いただきありがとうございます。
私は、弥生時代をもっと多角的な角度から考えてみたいとアプローチを始めました。一応常識的な専門家の知識は参考にしております。
小寺さん、大賀さんなどの本や馬淵さん、平尾さんそれに新井宏さんなど諸先生の本は目を通しています。
TOMUさんは化学屋さんと自白なされておりますので期待しています。

西谷3号
第4主体 木棺に朱
水銀朱は中国の陝西省産
管玉:ソーダ石灰ガラス

とされ、ソーダ石灰ガラスはどこから来ているのでしょう。西谷は弥生時代後期中葉とすると紀元後2世紀でしょう。
朝鮮の良洞里、林堂のガラス玉はソーダガラスとされていますが根拠がつかめません。朝陽洞も1号と38号が有名で茶戸里も有名ですがいずれもガラス玉が出ています。このガラスはソーダか鉛かカリかなんでしょう。

一番有名な丹後の大風呂南1号には大きなカリガラスの釧がでています。弥生後期後葉のものですから紀元150年ぐらいかと思われます。小寺さんによれば中国の広州とかベトナムのハノイあたりに起源を求めておられます。

TOMUさんは鉛ガラスは全羅南道南郡郡谷里貝塚に求められ、鉛産地も忠北の月岳鉱山、山東省の香奇鉱山と特定されています。
根拠を示して頂ければありがたいと思います。

情報交換をしながら情報の確度を確かめさせてください 。

by とみた (2014-06-27 14:24) 

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