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12-3.事代主神と大三輪の神 [12.神武以前に大和に来た神々]

日本書紀の神代上と神武紀には、「事代主神が三島溝橛耳の女・玉櫛姫を娶とり姫蹈鞴五十鈴姫命が生まれた、神武天皇の妃である」と記載されている。出雲大神宮のある亀岡の地から、山一つ越した所が摂津の三島(高槻市・茨木市・摂津市)である。事代主神が三島を支配していた溝橛耳の娘・玉櫛媛を娶り三島に進出し、奇日方天日方命(大神氏の系譜より)と姫蹈鞴五十鈴姫命が生れた。姫蹈鞴五十鈴姫命は、橿原の地に都を造り建国をした神武天皇の妃となり、奇日方天日方命の息子の大田田根子(この事は次々章で述べる)は、崇神天皇の世で大物主大神(大己貴命・大国主命)を祀る祭主となり、疫病を収め、国内を鎮める功績を上げた。そこで、大物主神(大己貴命・大国主命)を三輪山(三諸山)に大神神社をもうけ祀ったと考える。大田田根子が三輪君の先祖である。これが出雲系の神々が大神神社を通して、大和王権に深く関わり合いを持つようになった謂われである。 

前述の筋書きには少し時代齟齬がある。日本書紀の神代には、天皇家の先祖の神々について、伊奘諾尊の御子の天照大神から磐余彦尊(神武天皇)まで6代が記載されている。伊奘諾尊→①天照大神→②天忍穂耳尊→③瓊瓊杵尊→④彦火火出見尊→⑤鸕鷀草不合尊→⑥磐余彦尊(神武天皇)である。一方、出雲の神々について、伊奘諾尊の御子の素戔鳴尊から神武天皇の皇后・姫蹈鞴五十鈴姫命の系譜を見ると、伊奘諾尊→①素戔鳴尊→②大己貴命(大国主命)→③事代主命→④姫蹈鞴五十鈴姫命である。天照大神から神武天皇まで6代と、素戔鳴尊から姫蹈鞴五十鈴姫命まで4代で、2代の系譜が違うのは大きすぎるように思える。 

大神神社には大神氏の系譜(三輪高宮家系)が伝わっている。①建速素戔烏尊→②大国主命→③都美波八重事代主命→④天事代主籤入彦命→⑤奇日方天日方命、奇日方天日方命の妹が、姫蹈鞴五十鈴姫命となっている。出雲の神々の系譜と比べると、事代主命が2代あることが分る。大神氏の系譜で面白いことは、各人物の添え書きとして、別称が書かれていることだ。都美波八重事代主命には大物主神・大和事代主命、天事代主籤入彦命には事代主命・玉櫛彦命である。事代主命と付く名が、都美波八重事代主命・大和事代主命・天事代主籤入彦命・事代主命と四つの名が出て来る。 

私は、事代主命が三代続いたと考える。出雲の事代主命は、大己貴命(大国主神)の息子として出雲で活躍した後、出雲の国譲りに敗れ、三穂津姫命を娶り国を出た。丹波の事代主命は、丹波で保津川を開削し丹波の国造りを行った。大和の事代主命は三島溝橛耳の女、玉櫛姫を娶り三島に進出して大和への足がかりをつけている。伊奘諾尊→①素戔鳴尊→②大己貴命(大国主命)→③出雲事代主命→④丹波事代主命→⑤大和事代主命→⑥奇日方天日方命・姫蹈鞴五十鈴姫命である。素戔鳴尊から奇日方天日方命・姫蹈鞴五十鈴姫命の系譜が6代であり、天照大尊から神武天皇までが6代の系譜と時代齟齬はない。 

大和事代主命の孫、奇日方天日方命の息子の大田屋根子は、大神神社には大己貴命(大国主命)を、大神神社の別宮の鴨都波神社には出雲事代主命を祀ったのである。それでは大和事代主が三島に進出した年代を考える。大和事代主は三島溝橛耳の女・玉櫛姫を娶とり、神武天皇の皇后になった姫蹈鞴五十鈴姫命が生れている。これらの事を考慮すると、大和事代主が三島に進出したのは、241年の神武建国より20~30年前、3世紀の初めの頃と考える。


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