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4-6.歴史は時代と場所を問わず似ている [4.卑弥呼は何故共立されたか]

中世ヨーロッパに神聖ローマ帝国(962-1806年)があった。現在のドイツ・オーストリア・チェコ・ハンガリー・スイス・北イタリアの諸国から成り立ち、首都はなく帝国というよりは大小の国家連合体であった。

最強のドイツ国王のオットー1世が、ローマ教皇から「ローマ皇帝」の冠をもらい、神聖ローマ帝国の初代皇帝となっている。ドイツ王国はオットー3世で直系が断絶、傍系も数代で断絶した。そのため7人の選帝侯で皇帝を選ぶ事が制度化した。選帝侯は皆自分が選ばれたし、自分でなければ操り易い人物を皇帝に選んだ。皇帝はローマ教皇から冠を授かり、正式に皇帝として認められた。誰だって他人が権力を持つことに手を貸すのは喜ばない。これらの制度が破綻し、13世紀に皇帝がいない大空位時代が20年間続いた。この間も皇帝は選出されたが、名ばかりの皇帝であった。

1273年、ハプスブルグ家のルドルフ1世が皇帝に選ばれた。ルドルフ1世はスイスの片田舎に小さな領地を持つ家柄の良い貴族で、それまでの皇帝には従順で、優れた武将の印象はなかった。強力な皇帝の出現を嫌うドイツ諸侯の思惑にピッタリで選出された。

ルドルフ1世はローマ教皇から冠を授かり、権力を握ると、神聖ローマ帝国で最も強力で、自分こそ皇帝になるべきだと自負していたボヘミア王が叛旗をひるがえした。ルドルフ1世はボヘミア王を撃退し、オーストリアのウイーンに本拠地を移し、皇帝権力の強化を図った。ルドルフ1世の後ハプスブルグ家が強国化するのを恐れ、皇帝に選出されなかったが、力を付けた
ハプスブルグ家は神聖ローマ帝国の皇帝を世襲するまでとなった。ハプスブルグ家はオーストリア・チェコ・ハンガリーを治め、神聖ローマ帝国の国々やヨーロッパ諸国と姻戚関係を結び、500年間以上ハプスブルグ帝国と言われる程繁栄する。1806年神聖ローマ帝国はナポレオン1世の攻撃に屈して解体、第一次世界大戦の終わる1918年に崩壊した。 

歴史は時代・場所を問わず似ている。
神聖ローマ帝国は国家連合体=倭国は分れて百余国
最強のドイツ国が実権を握る=最強の奴国が漢委奴国王金印をもらう
初代皇帝がローマ教皇より冠を授かる=初代倭国王帥升(奴国王)が後漢に朝貢
大空位時代=倭国大乱
スイスの小国で家柄の良いハプスブルグ家=天孫降臨の日向の邪馬台国  
ルドルフ1世は優れた武将に見えない=青銅器の武器を持たない邪馬台国
ルドルフ1世が皇帝に選出される=卑弥呼が倭国王に共立される   
オーストリアのウイーンに侵出=磐余彦(神武天皇)が大和に東征
ハプスブルグ家500年繁栄=大和朝廷600年繁栄(藤原氏台頭まで)
                    
   (今後書く記事を先取りして書いています) 
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