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3-8.女王連合国以外の諸国 [3.邪馬台国を解く]

魏志倭人伝は女王連合国(卑弥呼を共立した国々)以外の諸国についても書いている。「女王国の東、海を渡る千余里、また国あり。皆倭種なり。また侏儒国あり。その南にあり。人の長三、四尺、女王を去る四千余里。また裸国・黒歯国あり。またその東南にあり。船行一年にして至るべし」。これらの国々は、海を渡る国々であり、渡海について「渡海千里は20日の行程で120キロメートル」と定理する。「渡海」は千里が一航海の単位であったと思われるが、その航海に要する日数は、風待ち、潮待ち、天気待ちを考えると、水行の倍の日数を要したと考える。 

「女王国の東、海を渡る千余里、また国あり。皆倭種なり」、邪馬台国の領域を日向の国、宮崎県に想定した。西都市の北北東40キロメートルにある日向市から、東に海を渡ると、140キロメートルに四国高知県の足摺岬がある。まさに東約千余里の距離である。「皆倭種なり」、四国は女王連合国には入っていなかった。 

「また侏儒国あり。その南にあり。人の長三、四尺、女王を去る四千余里」。西都市付近の海岸より海岸線に沿って南下すると、大隅半島の佐田岬にあたる。その少し手前から渡海すると種子島に着く、そこから屋久島に渡り、西南のトカラ列島の島々を通り、宝島辺りから南に渡海して奄美大島に渡る。西都市付近の海岸から距離にして500キロメートル、換算すると4千2百里。魏志倭人伝通りの約4千里の航海である。侏儒国を奄美大島に比定する。侏儒を漢和辞典で調べると、「短小な人」とある。弥生時代の人骨の調査では、奄美大島を含む南九州の離島には、低身・短頭の特徴があるとされており、奄美大島が侏儒国であった事を示唆している。

「また裸国・黒歯国あり。またその東南にあり。船行一年にして至るべし」。奄美大島からの航海は、徳之島・沖永良部島・与論島を通って沖縄に着く。沖縄を裸国と見る。沖縄からは北九州を中心に山陽・山陰・近畿地方で出土する、弥生時代のゴボウラ貝の腕輪の半加工品や製品が発見されている。この巻貝は種子島以南の海にしか生息しないものなので、弥生時代から沖縄と九州との間に、交流があったという証拠とされている。裸国と特定した沖縄からは、宮古島・多良間島・石垣島・西表島・与那国島、台湾の航海となる。台湾を黒歯国に特定する。

黒歯国は読んで字のごとく、歯を黒く染める住民がいた事になる。日本でも平安時代以後、女子や公卿に「おはぐろ」という、歯を黒く染める習慣があった事を思い出し、日本民族文化体系を調べた。台湾南部のパイワン族の間に嚼檳榔習俗があり、歯を黒く染めている事を書いている。嚼檳榔習俗とは、檳榔樹の果実を石灰とまぜ、これをコショウ科の植物キンマの葉で包んでかむ習俗のことである。この習慣は現在でも台湾東部・南部の地域で行われていて、街のいたるところで檳榔が販売している。檳榔は台湾チューインガムと言われ、習慣性があるらしい。ただ歯は黒色でなく赤色となっている。パイワン族は鉄を焼いて、日本でも行われていた鉄漿つけを行い、檳榔を咬んだ時に赤色になる歯を黒色に見せていたと書いてあった。「身体装飾と民族」の項を書かれた国分直一氏は、魏志倭人伝に記載された黒歯国は、台湾南部にあったと想定されている。

図7三国時代の中国.jpg裸国・黒歯国を沖縄・台湾とすんなり比定したが、沖縄・台湾は侏儒国に比定した奄美大島から見て西南で、「またその東南にあり」の東南とは方角が90度違っている。魏志倭人伝の始めに「郡より倭に至るには、海岸に循って水行し、韓国を歴て、乍は南し乍は東し、その北岸狗邪韓国に至る七千余里」とあった。その北岸狗邪韓国に到るとは韓国の北岸でなく、次の「対馬国」から見ての北岸であつた。魏志倭人伝には、倭国の位置を示す文章に、「その道理を計るに、当に会稽東冶の東にあるべし」とある。最終目的地が「会稽東冶」であったと考える。図7示すように、夷州(台湾)は会稽東冶の東南にある。これで「またその東南にあり」は解決した。なお、倭国は会稽東冶の東にはない。しかし、東冶から東に向かって船出すれば、船は黒潮に流されて倭国に着くことになる。魏志倭人伝の方向は合っている。                 (図をクリックすると大きくなります) 

「船行一年にして至るべし。」、それでは女王国から会稽東冶まで船行で一年かかるか検証する。邪馬台国(西都市)から侏儒国(奄美大島)まで500キロメートル、約4千里。侏儒国(奄美大島)から裸国(沖縄)までが、350キロメートルの約3千里。裸国(沖縄)から黒歯国(台湾・基隆)までが700キロメートルの約6千里。黒歯国(台湾・基隆)から会稽東冶(福州)までが250キロメートルの約2千里になる。邪馬台国(西都市)から会稽東冶(福州)まで1800キロメートルの1万5千里。渡海の定理から、航行は300日となり、魏志倭人伝にかかれた「船行1年にして至るべし。」と、およそ合致する。 

「倭の地を参問するに、海中洲嶋の上に絶在し。あるいは絶えあるいは連なり、周旋五千余里ばかりなり。」この文章は「倭の地は島であり、その周囲は5千里」としている。倭の地とは女王連合国であるが何処をさすのであろうか。周囲5千里の島は九州全体をさすと考える。九州一周850キロメートル、7千里となる。魏志倭人伝の記述と2千里異なるが、倭の地が九州を意味していたと考えてもさしつかえないだろう。 

表6邪馬台国の証明.jpgこれで魏志倭人伝に記載された邪馬台国への行程、あるいは女王連合国(卑弥呼を共立した国々)以外の諸国との方角・里数について、全て比定・検証する事が出来た。その方法は、私なりに定めた4個の定理を、最初から最後まで一貫して使用し、魏志倭人伝に記載された方角・里数に、一切修正の手を加えず証明する方法であった。表6に、その定理と証明した内容についてまとめてみた。大局的に見て、何一つ矛盾をきたすものはなかった。邪馬台国畿内説をとなえる多くの研究者は、南を東にすり替えて、邪馬台国を畿内に持ってきて、狗奴国を尾張の地に比定し説明している。しからば、その南の裸国・黒歯国は何処に比定するつもりだろうか。まさか、ハワイと言いいはしないだろう。

                   (表をクリックすると大きくなります)


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ホケ老

>「侏儒国を奄美大島に比定」。
奄美大島~種子島(私の比定地)が「侏儒国」の比定地として有力視されないのが、不思議でなりません。
「伝」の記述とも矛盾せず(其々の邪馬台国論にも依るのでしょうが)、物証(遺骨)も発掘されているのに・・・・・?????

むしろ、「薩南諸島を侏儒国と比定し、ここから伝の記述を解きほぐしつつ、全体として矛盾しない女王国の地を推理する。」
こんな邪馬台国の探索方法があってもイイのでは? と考えるのですが・・・・。
by ホケ老 (2017-01-16 14:37) 

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