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1-1.日本書紀は信用されていない [1.日本書紀の編年を解く]

日本の古代史(弥生~古墳)を解明するためには、発掘された遺跡や遺物の考古資料と三国志魏志倭人伝などの中国史書、そして古事記・日本書紀の日本史書が三位一体となって成し遂げられると考える。しかし、日本史書なかでも日本書紀は軽んじられ、古代史解明の手段としては用いられていない。戦前・戦後と太平洋戦争を境として、日本人の価値観が右から左へと大きく振れた。日本書紀が描いた古代の歴史も、戦前は全てを絶対視し、戦後は全て否定された。日本人の価値観の振り子は、現在真ん中に戻ってきたと思えるが、日本書紀の描いた古代の歴史の振り子は、まだ左側に偏っている。

埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した鉄剣の金象嵌から、「辛亥の年」「獲加多支鹵(ワタカキロ)大王」という文字が表れた。県菊水町の江田船山古墳出土の鉄剣にも銀象眼の「獲□□□鹵大王」という文字があり、獲加多支鹵大王は大和朝廷の天皇であると考えられ、大泊瀬幼武(おおはつせわかたけ)と呼ばれた雄略天皇に比定され、辛亥の年は471年とされた。これにより、日本書紀の記載も、雄略天皇までは歴史として認められるようになってきた。 しかしながら、世界遺産に登録を画策している、百舌鳥古墳群にある日本一大きな前方後円墳である大仙古墳、古市古墳群にある二番目に大きな誉田御廟山古墳が、学問上では仁徳天皇陵・応神天皇陵と認められていない。それは天皇と古墳が一致するかという問題でなく、日本書紀に記載されている仁徳天皇・応神天皇の存在が認められていないと言う事だ。


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H.Kmr

ブログ開設おめでとうございます。

何かに興味を持ち、好きになり、続けながら楽しむ趣味があることは何よりと思います。
そして、その関心事を共有できる友が居れば、一層日々が楽しくなります。
私の場合、撮影ポイントでお会いする方々は同年配の多く、直ぐに楽しい会話が始まります。
帰宅してからはお互いのブログを通じて、情報やアドバイスを交換し合っています。

理系でありながら歴史を勉強の域を超え、まさに研究域ですね。私には高等すぎる内容です。
私のブログ仲間にも、ブログ内容を溜めて本にされている方がおられます。

私見になりますが、歴史内容に関連する写真(場所、史跡、遺跡、史物など)などを添付されては
如何でしょうか。現代人は絵・写真から興味をいだきますので。
私がブログを始めた時は一枚の写真を続けていたのですが、枚数を増やすようにアドバイスが来ました。

ブログを続けられ、楽しい日々をお送りください。
by H.Kmr (2011-06-23 18:15) 

t-tomu

コメントありがとうございます。ブログを開設して間がなく、コメントの読み方も習得してなく失礼しました。
写真のアドバイスありがとうございます。ブロウに出てくる遺跡など写真はとっているのですが、
なにしろ整理ができてなく、掲載までいっておりません。
本一冊分の内容にしたいと思っております。
by t-tomu (2011-06-30 10:35) 

M.Takahasi

最近(12.2.21)検索よりBlogを知りました。当方古墳における磁針方位に関しYahooにHPを出しております。(Google、天皇陵・磁針方位で先頭に出ます)ーー之に関し鉛同位体値をCadにより分析整理しておりますが、
韓国蓮華鉱山、中国戦国期鉛鉱山のデータにアクセスできません。恐らく国立博物館系の論文に記述データではと思いますが、安直なアクセスができません。恐れ入りますが、ご整理データベース中のデータをご教示頂けませんでしょうか。(図上測定では正確な値が出ませんので)
     ーー宜しくお願い申し上げます。(hikozya@hotmail.com)
by M.Takahasi (2012-02-21 22:53) 

t-tomu

折角いただいたコメント、見逃しておりました。申し訳ございません。朝鮮半島産鉛鉱山・中国産鉛鉱石の鉛同位体比は、馬渕久夫・平尾義光の論文「東アジア鉛鉱石の鉛同位体比」に掲載されております。この論文は雑誌「季刊・邪馬台国 60号」に転載されております。
by t-tomu (2012-03-26 23:23) 

古代史が好き

天照大御神が譲れといった葦原中津国は鳥取県北栄町にあった。
縄文海進から縄文海退にかけて瀬戸、原を入江の入口として西穂波、亀谷、灘手地区(津原、鋤、別所、尾原)、穴沢、穂波、原の海抜4mの線を結ぶと、天然の良港があったことがわかる。津である。縄文海退がすすみ、周辺は葦原になっていた。今でも葦が生えている。大和武(たける)の尊が大島に来られた時は、嵐を避けるために小型船に乗り換えて来られた(宮崎神社由緒より)。大島から縄文丸木舟が発掘されている。まだ中央は津であった。
 亀谷神社には木乃花咲也姫が住まわれ、もう少し山側(下種の大宮神社)にはニニギの尊が御所を建てられた。天孫はこの地域(葦原中津国)を目標に降りてこられた。穂波には一番の家来の天児屋根命がいた。西(琴浦町)にも家来を配置して、平定は完了した。
地図の貼り付けはうまくいかないので、みなさんで調べてください。
このあたり(鳥取県中部)は事代の主が支配していた。美保関から帰ってきた事代の主はすぐ東の波波来神社のあたりで生き延びることを許された(伝承では幽閉されていた)。その後ニニギの尊は建御名方命の支配していた、鳥取県西部の進出に乗り出した。


by 古代史が好き (2012-12-07 08:03) 

t-tomu

北栄町の瀬戸・西穂波・津原・別所・穴沢・原の地名を航空写真で辿ってみました。航空写真では地図では分かりにくい地形がよくわかります。確かにこれらを結ぶ線が古代は入江であっただろう、大島は島であっただろうと想像できました。そうなると逆に、葦原中津国にしては平野部が少ないのではと気になります。お話の場所は、北栄町に近い青谷上寺地遺跡に似ていると思いました。青谷上寺地遺跡を訪れた時、遺物は豊富であるが遺跡の範囲は意外と狭いと感じたからです。私は日本書紀に書かれた「神代」には、弥生時代の史実が刷り込まれていると考えております。そう考えると、葦原中津国と比定するところには、狭田・長田の畔があり、八咫の鏡・十握剣・矛・五百個の玉の首飾り、そして絹が出土する所、弥生文化の発達していた所ではないかと思っております。
by t-tomu (2012-12-09 21:41) 

いしやま

安土桃山末期、江戸初めの1608年に、ロドリゲスというポルトガル人が日本に布教に来て30年ほど滞在し、作ったのが「日本大文典」という印刷書籍です。400年前の広辞苑ほどもあるような大部で驚きです、さらに家康の外交顧問もしていました。スペイン国王からはメキシコに帰る難破船救助のお礼に、「家康公の時計」をもらっています。
古代から伝えられてきた日本の歴史について知ることができる タイムカプセル でしょうか。これが戦国時代直後までの古代史の認識で、倭国年号が522年善記から大宝まで記載され其の後に慶雲以後の大倭年号が続きます。明治以後にはこの歴史認識は失われてしまったようです。日本大文典の倭国年号の存在は、ウィキなどにも記載されていません。ついでに 倉西裕子著 『「記紀」はいかにして成立したか』 続日本紀記載の720年「日本紀」は普通古代史専門家はこれを「日本書紀」と読み替える前提ですが、理由無く読み替えられない、別物という論証がされています。
宜しくお願いします。

by いしやま (2014-01-04 09:06) 

t-tomu

ロドリゲスの書いた『日本大文典』は知りませんでした。『続日本紀』には大宝元年(701年)3月に、「対馬、金を献上、よって年号を大宝とす」とあり、これが日本の年号の始まりとするのが通説です。法隆寺の釈迦三尊像の光背銘と『釈日本紀』に引用された「伊予風土記」には「法興」の年号があり、「法興元年」は崇峻4年(591年)にあたります。この年号は日本書紀に現れない私元号であり、我が国で初めの年号であったと私は思っていました。
『日本大文典』によると、ロドリゲスが日本に滞在していた17世紀初めの頃には、継体朝の522年に「善記」という年号が存在し、大宝元年までに30の年号が存在した史料があったと思えました。その年号の中には、よく知られている私年号「白雉」「白鳳」があり、舒明朝には「聖徳」の年号もありますが。「法興」の年号はありません。
『日本大文典』が示す年号は、鎌倉時代から室町時代にかけて成立したと言われる「二中暦」によく似ております。
これらの年号の信憑性については、私には分かりません。ただ、史料価値があるのは、奈良時代以前に書かれたものであると思っています。
by t-tomu (2014-01-04 23:38) 

いしやま

言及ありがとうございます。奈良時代を見ていて分からないことだらけなので、たまたまこれを知ったところでした。評価できないので、解説していただけそうなところに問い合わせているところです。二中暦には、日本書紀に含まれる年号があり、それと日本書紀にある年号とは時期がずれていますことから、日本書紀改竄に際して二中暦の年号を基にしたものかという推定はしています。記事の年号を書き換えれば、年代を簡単に移せますから。大化はほぼ嘘くさいとされているようなので、697年記事を645年頃に移したとできそうかなと思います。その他も同様で、日本大文典とは異なる様子です。隋・唐など中国史書の倭国の歴史はこれからわかりやすくなるのではとは思いますが。
by いしやま (2014-01-05 09:09) 

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